新約聖書「ルカの福音書」7章41-43にこんなお話が出てきます。
「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は500デナリ、もう一人は50デナリ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも借金を帳消しにしてやった。それでは、二人のうちのどちらが、金貸しをより多く愛するようになるでしょうか。」
シモンが「より多くを帳消しにしてもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は正しい」と言われた。
“Two people owed money to a certain moneylender. One owed him five hundred denarii, and the other fifty. Neither of them had the money to pay him back, so he forgave the debts of both. Now which of them will love him more?”
Simon replied, “I suppose the one who had the bigger debt forgiven.”
“You have judged correctly,” Jesus said.
1デナリはだいたい1日の労働賃金なので、50デナリは50万円、500デナリは500万円ぐらいでしょうか。どちらにしても小さな額ではありませんが、この2人の共通点は、借金があり自分で返済できないということです。
ここでいう借金とは私たちの罪を指します。私たち人間には罪があり、それを自分で解決(返済)することはできません。そのために、イエス・キリストが身代わりとなって死んでくださいました。金貸しが多額の貸付金を帳消しにするには痛みが伴いますが、イエス・キリストは十字架という最も残虐な方法で犠牲になられました。そのおかげで、私たちの罪は完全に赦され(帳消し)たのです。
私の罪は50万円でしょうか、500万円でしょうか。その額が多ければ多いほど、イエス・キリストへの愛は大きくなります。